サッカー日本代表の田中碧さんが、鈴木愛理さんとの熱愛を発表したことで話題になりましたね。
田中碧さんの出身高校や大学などの学歴や、サッカー成績などの経歴が気になる方も多いのではないでしょうか。
高校や大学時代の学生時代エピソードも紹介したいと思います。
この記事では、
- 田中碧の出身高校・大学などの学歴
- 学生時代エピソード
- 経歴
について解説します。
田中碧の学歴!
田中碧さんの学歴がこちらです。
- 川崎市立鷺沼小学校
- 川崎市立有馬中学校
- 神奈川県立新城高校
それぞれ解説します。
川崎市立鷺沼小学校
田中碧さんの出身小学校は、川崎市立鷺沼小学校です。
田中碧さんがサッカーを始めたのは、幼稚園のクラブ活動。
そして小学校に入学後に、田中碧さんの地元のサッカーチームである『さぎぬまSC』在籍しました。
さらには、さざぬまSC以外にも東京ヴェルディにも週2で通っていたそうですよ。
サッカーに熱中した小学生時代を過ごしていたんですね。
田中碧さんは、なんと小学生のころからプロを意識していて、当時はACミランのシェフチェンコさんに憧れていたんだそうです。
小学校3年生のときに、川崎フロンターレの下部組織に入団して、ユース時代には背番号10番を背負いました。
ちなみに同じ日本代表選手の三苫薫さんも、鷺沼小学校出身で田中碧さんと幼馴染です。
かなり仲良しなので、鷺沼兄弟と呼ばれています。
田中碧さんが子供の頃に公園でサッカーしていたら三苫薫さんが偶然居合わせ、一緒にサッカーするようになったんだそうです。
するとこれまた偶然、サッカーチームも一緒になったんだそうです。
年齢は1歳違いますが、何か運命的なものを感じますし仲良くなるのも当然ですね
川崎市立有馬中学校
田中碧さんの出身中学は、川崎市立有馬中学校で公立の中学校になります。
小学生時代からサッカーが上手だった田中碧さんですが、私立のサッカー強豪校へは進学しませんでした。
その理由が、すでに川崎フロンターレに所属していたため、中学の部活動には参加する必要がなかったからだそうです。
中学生活でもサッカーに取り組んでいた田中碧さんですが、高校は進学校へ進学します。
神奈川県立新城高校
田中碧さんの出身高校が、神奈川県立新城高校です。
新城高校は、偏差値63の進学校です。
進学校なので、サッカーの推薦で入学したと思われそうですが実は違います。
田中碧さんはサッカー推薦ではなく、自分の学力で新城高校へ入学しました。
学生生活はサッカーだけでなく、ちゃんと勉強もしていたんですね。
ちなみに高校卒業後は大学へは進学せずに、川崎フロンターレに入団しています。
では続いて、サッカーも上手く秀才だった田中碧さんの学生時代エピソードをご紹介します。
田中碧の学生時代エピソード3つ!
田中碧さんの学生時代エピソードがこちらです。
- U-18の衝撃
- 得意科目は数学
- 自分らしく
それぞれ解説します。
①U-18の衝撃
田中碧さんの学生時代エピソード1つ目が、サッカーに本気になるきっかけがU-18の練習参加だったことです。
田中碧さんは中学時代もサッカーを続けていたものの、友達と遊ぶのが楽しくなっていた時期がありました。
サッカーだけに熱中していたというわけではなかったようです。
そのことを後に田中碧さんは、中学生時代「サッカーがトーンダウンしていた」と語っています。
そんな田中碧さんが変わるきっかけとなったのが中学3年生の時に参加したU-18の練習でした。
その際にサッカーの技術の差に衝撃を受けたことで、気持ちを切り替えてサッカーに真剣に取り組むようになったそうです。
U-18の技術の差に衝撃を受けた田中碧さんは、それからサッカーに毎日集中していたそうですよ。
周りとの差が悔しくて衝撃的だったんですね。
②得意科目は数学
田中碧さんの学生時代エピソード2つ目が、得意科目は数学です。
田中碧さんは得意科目に数学をあげています。
さきほども紹介した通り、田中碧さんは勉強もできる秀才でした。
逆に苦手科目は、英語だったんだそうですよ。
そのため欧州リーグへ移籍が決まったときには、同じく移籍が決まった三苫薫さんと一緒に英語を勉強したというエピソードもあります。
学生時代から努力家だったことがわかります。
③キャプテン任命
田中碧さんの学生時代エピソード3つ目が、キャプテンに任命されたことです。
田中碧さんは高校3年生の頃に、川崎フロンターレU-18のキャプテンに任命されました。
その時のインタビューで『自分はすごい選手でもないので。ゆっくり自分らしくやりたいなと思います』と話されています。
田中碧さんはサッカーが上手くても謙虚な心を忘れない素敵な選手だったんですね。
キャプテンに任命されたというだけでも、優秀な選手だったということがわかります。
では続いて田中碧さんの経歴について解説します。
田中碧の経歴!
田中碧さんの高校卒業後から2022年現在に至るまでの経歴をご紹介します。
高校卒業~2020年
2017年、田中碧さんは川崎U-18からトップチームに昇格を果たしました。
昇格を果たしたものの、残念ながらその年はケガを負ってしまいます。
田中碧さんは、ケガが原因で公式戦へ出場出来ないまま、シーズンを終えることとなります。
ユースチーム時代では、チームの要として活躍するほどだった田中碧さん。
そんな田中碧さんでも、プロの世界においてはすぐに活躍出来ない厳しさを知ったのではないでしょうか。
2017年度は公式戦に出場できなかった田中碧さんですが、2018年9月『J1リーグ』初出場を果たします。
初出場したその試合では、後半のアディショナルタイムにプロになって初ゴールを記録し、大きな注目を集めましたね!
プロになってから悔しいことも多かったと思います。
しかし初出場した試合でゴールを決めるのは、さすがですよね。
プロ生活2年目に出場した試合は、4試合のみにとどまりました。
しかし初ゴール決め、しっかりとチャンスをものにしたので、田中碧さんが期待されるきっかけになったのではないでしょうか。
そしてその期待通り、2019年には日本代表にも選出されましたね。
初めは少なかった試合出場回数ですが、J1リーグでは24試合出場しました。
田中碧さんはなんと3年目にして、川崎フロンターレの中心選手となったんですね。
そこからさらに2020年は出場回数を増やし、J1リーグで31試合に出場して、5得点を決める活躍ぶりでした。
そして熱愛を公表した鈴木愛理さんとも、2020年ごろから交際が始まった可能性が高いです。
2021年
2021年6月にはこれまでの活躍が世界に認められ、ドイツ2部リーグ『デュッセルドルフ』からオファーがきます。
川崎フロンターレで2年間、チームの要として活躍していたので、世界的に活躍する準備が整ったのかもしれませんね。
移住先のドイツで生活では、母親も一緒に同居して田中碧さんを支えています。
2022年現在
田中碧さんは、デュッセルドルフに移籍した後、川崎フロンターレとの戦術の違いに苦しみました。
思うようにチームに順応できない時期もあったようです。
それでも努力家の田中碧さんは日本と異なる環境に順応し、2022年現在ではチームの中心として活躍しています。
田中碧さんは、東京オリンピックの後「世界との距離はかなり遠い」と痛感したそうです。
2022年現在は、筋力トレーニングを重点的に体格の強化をして、サッカー世界基準を目指しています。
デュッセルドルフでは、2022年4月に移籍後初ゴール、そして初アシストを決めました。
田中碧さんは、チームに必要な存在になってきたのではないでしょうか。
今後の活躍に大注目ですね!
まとめ:田中碧の学歴や経歴まとめ!出身高校や大学、学生時代エピソード3つを紹介!
この記事では、
- 田中碧の学歴
- 学生時代エピソード
- 経歴
について解説しました。
田中碧さんの学歴は、鷺沼小学校・有馬中学校・神奈川県立新城高校でした。
サッカー推薦ではなく、学力で偏差値の高い高校に入ったんだそうですよ。
学生時代は遊びを優先して、サッカーは二の次になる時期もあったようです。
しかし、U-18の練習を見たことで衝撃を受け、再びサッカーに熱中するようになりました。
プロになって1年目は、けがで試合に出場できませんでしたが、2年目からしっかりと活躍しました。
そしてドイツのチームからオファーがくるほどの選手へと成長したんですよ。
今後の更なる活躍が楽しみですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。