「あばれヌンチャク」として、桜塚やっくんとコンビを組んでいた元相方の竹内幸輔さんが、病気で亡くなりました。
あばれヌンチャクのお2人が、早すぎる死を迎えてしまったわけですが、解散した理由は何だったのでしょうか。
あばれヌンチャクの解散理由は不仲?
あばれヌンチャクの解散理由について、ネットでは理由が知りたいと言った声が多いようです。
そして解散理由についての回答がこちら↓
「あばれヌンチャクは、竹内さんがラジオ関係の仕事をしたかったからだと言ってました。」
「絵もネタもやっくんが担当してたからね。 竹内は何もやらないから、やっくんの負担が大きかったんじゃないの? 漫画家の仕事もあるし。」
「ネタを考えるのは、やっくん。 絵を描くのも、やっくん。 リアクションするのも、やっくん。 「それじゃあ、俺が一人でやったって同じじゃん。メガネなんて 俺の書いた台本通りやってるだけだしよー。」 と、やっくんは思ったからではないでしょうか?」
引用元:yahoo知恵袋
- 竹内幸輔さんが、声優をやりたいと申し出た
- ネタ作りからすべてやっていたのはやっくんなので、相方が必要なかった
と言った情報があるようです。
それを裏付けるような情報として、コンビ仲が悪かったようで、ネタのことで喧嘩が絶えなかったと言われています。
もともと2人は同じ劇団で、竹内幸輔さんがリーダー、やっくんが劇団員という立ち位置でしたので、上下関係がコンビ内でもあったようです。
解散後にやりたかったこと
竹内幸輔さんはコンビ解散前から声優の仕事もしていました。
そして、解散後は声優をやっていきたいという気持ちがあり、声優の道に進みました。
一方、やっくんはピン芸人として可能性を試したいということで、ピン芸人としてその後活躍していきました。
竹内幸輔さんは解散までの間、声優としての仕事を優先していたことも、やっくんは怒っていたようです。
やはり、コンビ解散理由は不仲だったことが理由なのかもしれません。
あばれヌンチャクは放送ギリギリの過激ネタ!
あばれヌンチャクとは、桜塚やっくんこと斎藤恭央さんと声優の竹内幸輔さんが1999年10月に結成したお笑いコンビです。
スケッチブックを使った紙芝居風コントで、放送ギリギリな過激ネタを披露していたようです。
2005年4月にコンビを解散しています。
解散後、竹内幸輔さんは声優の道に進みます。
斎藤恭央さんは桜塚やっくんとして、ピン芸人として活躍しました。
しかし2013年10月5日、桜塚やっくんこと斎藤恭央さんが、営業の移動中に37歳という若さで交通事故死しました。
そして2022年6月8日、竹内幸輔さんも病気の為死去しました。
あばれヌンチャクについて世間の声は、
辺鄙な公立高校に来てくれたんですよ、あばれヌンチャクさんふたりで…まさかおふたりともこんなに早くに…ご冥福をお祈りします。
— 🍆あんなC🍆🤗💜 (@anna_Kclaba) June 15, 2022
あばれヌンチャク両方亡くなってしもたんか…
— えなり (@okagami37) June 15, 2022
え、うそやん、竹内さん亡くなったの。あばれヌンチャク大好きだった。ご冥福をお祈りします。
— 切原リオ (@rio_3) June 15, 2022
早すぎる死を惜しむ声が多く聞かれています。
まとめ
あばれヌンチャクの解散理由についてまとめました。
正式な解散理由については明らかになっておらず、竹内幸輔さんが声優の道で進みたかったための解散だったと言われています。
残念ながらお2人ともこの世をさってしまいましたが、天国でまたコンビを組んでいることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。