人気バンド「コブクロ」でヴォーカル務めるミュージシャン・小渕健太郎さん。
なんと、学生の頃に母親を亡くされているのですが、コブクロの曲には亡き母への想いを綴った曲があるそうなのです。
更に、小渕健太郎さんのご家族について調べていると、あの有名な野球選手と親族関係だったことが判明!
そこで今回は、
- 小渕健太郎の母親の死因は病気だった?!
- 小渕健太郎が母親に捧げた曲がある?!
- 小渕健太郎の父親は民謡の先生?!
- 小渕健太郎の姉にまつわる、コブクロのデビュー曲エピソード
について、まとめてみました。
小渕健太郎の母の死因は病気!

小渕健太郎さんのお母様は、まだ小渕健太郎さんが10代のときに他界されています。
この章では、小渕健太郎さんのお母様の死因についてや、小渕健太郎さんがお母様のために作られたというコブクロの楽曲を紹介します。
18歳の時に母と死別

小渕健太郎さんのお母様が亡くなられたのは、小渕健太郎さんが18歳のとき。
死因などについては詳しく明かされていませんが、ネット上の情報をまとめると「病死説」が有力のようです。
お母様が亡くなった理由は公になってないですね。
おそらくご病気かなと思います。引用元:Yahoo!知恵袋
さんが18歳の時というと、1995年頃。
当時の流行りの病などを調べてみましたが、特に伝染病などは流行っていない模様でしたので、どこか臓器などの病にかかられたのではないかと思われます。
もしかしたらですが、小渕健太郎さんのお母様に死因について明かされていないのは、小渕健太郎さん自身が母親の死についてあまり触れたくはないからという可能性も考えられます。
実は、コブクロの曲には小渕健太郎さんのお母様について歌っている曲があるんです。
つまりは自身の作品として残しておきたいくらい、小渕健太郎さんの母親の死は大きな悲しみとして心に刻みつけられているのではないでしょうか。
いや、誰だって親が亡くなるのは悲しいですよね。
もしそうだとしても、当然だと想います。
亡き母を思って創った曲

小渕健太郎さが亡き母を思って作った曲というのが、
- 蕾
- 忘れてはいけないもの
- 遠くで・・
の3曲です。
18歳のときに母親を亡くしており、「遠くで・・」と「忘れてはいけないもの」と「蕾」は、その母親の死をテーマにした曲である。
引用元:Wikipedia
3曲も創られるなんて、よほどお母様のことを大切に想ってらっしゃったことでしょう。
特に、2007年に発表された14枚目シングル「蕾」は日本レコード大賞を受賞されているのですが、小渕健太郎さんはその際にインタビューで
と聞かれた際に、
と話していました。
きっとお母様も天国から、小渕健太郎さんの受賞や音楽活動を見守っておられたと思いますよ。
小渕健太郎の実家の家族構成・職業まとめ!

小渕健太郎さんの家族構成は、
- 父親・小渕八郎さん – 他界
- 母親 – 他界
- 姉
- 小渕健太郎さん(本人)
の4人家族ですが、お母様だけでなくお父様も既に他界されております。
では、ご家族の方についてエピソードを交えながら紹介してまいりましょう。
父は民謡の先生

小渕健太郎さんの父親は小渕八郎さんという方です。
父・小渕八郎さんは民謡の先生をされており、それが幼少期から小渕健太郎さんが音楽に興味を持つようになったきっかけとされています。
そうして、小学生の頃にはギターを始めることとなる小渕健太郎さん。
しかし2015年2月19日、小渕健太郎さんに音楽との出会いのきっかけを与えてくれた父・小渕八郎さんも天へ昇ることに。
公式サイトでは「ファンの皆様へ」と題し「小渕健太郎のご尊父 小渕八郎氏が、2月19日に享年71歳にて永眠されました。心から哀悼の意を表するとともに謹んでお知らせ申し上げます」とコメントを掲載。「ご遺族のご意向により家族葬にて執り行ない、訃報のご連絡も法要後とさせて頂きました」と報告している。
引用元:ORICON NEWS
とても親想いな小渕健太郎さん。
なんとお母様だけでなく、父・小渕八郎さんへも楽曲を捧げておられました。
コブクロの小渕健太郎が亡き父に捧げた楽曲「星が綺麗な夜でした」が、東京タワーの夏の風物詩「天の川イルミネーション」のテーマソングに決定した。
引用元:BARKS
自身が生涯をかけて「やっていきたい!」と思える音楽と出会わせてくれた、父・小渕八郎さんに贈る楽曲も、「天の川イルミネーション」のテーマソングに認定されるといった素晴らしい業績を残すことに。
とても美しい親孝行ではないでしょうか。
姉の手紙から生まれた曲

また、小渕健太郎さんにはお姉さんが一人いらっしゃいますが、一般人女性でいらっしゃるため詳しいプロフィールなどは非公開となっています。
姉弟仲はとても良く、小渕健太郎さんにとってお姉さんは頼れる存在みたいですね。
実は、2001年に発売されたコブクロのデビュー曲「YELL〜エール〜」は、お姉さんからもらった手紙をもとに作詞されているんです。
メジャーデビュー曲
「YELL〜エール〜」
メジャーデビューする前に、姉がくれた手紙を元に作った歌詞です。あの一通の手紙がなければ、この歌は生まれていません。姉弟でありながら、心の中で1番尊敬している人かもしれない。
引用元:Instagram
なんてエモすぎるエピソード!
こんなエモーショナルな恩返しをしてくれる弟さんをもって、小渕健太郎さんのお姉さんも幸せですね!
【参考】武田翔太投手と親戚だった?!

実は小渕健太郎さん、あの「福岡ソフトバンクホークス」で活躍中の野球選手・武田翔太さんと親戚関係にあるんですよ!
福岡ソフトバンクホークスの武田翔太投手と遠縁の親戚である。
引用元:Wikipedia
小渕健太郎さんもマラソンをされるということで、一人のスポーツマン。
2015年10月に自己ベスト記録をされた時には、武田翔太さんに勇気づけられたこともあったそうです。
24日の日本シリーズ第1戦で完投勝利を挙げたソフトバンク・武田翔太投手(22)は母方の親戚といい、「宮崎の実家の親戚の集まりに来てくれて、今年も会いました。力強いですよね。走る前にパワーをもらいました」と喜んでいた。
引用元:デイリースポーツ
ちなみに、武田翔太さんの好きなバンドは・・・

こちらの方達「UVERworld」
好きなアーティストはUVERworldで、2014年から楽曲を登場曲にしている。ライブにもたびたび訪れるほか、メンバーとも親交がある。
引用元:Wikipedia
音楽好きではあるみたいですが・・・「コブクロ」ではないんですね(笑)
小渕健太郎が音楽を始めたきっかけ家庭環境だった!

先程も触れましたように、小渕健太郎さんの父・小渕八郎さんが先生として民謡を教えておられたことが、小渕健太郎さんもまた音楽の道を志すきっかけとなります。
もちろん、小渕健太郎さんは民謡ではなくバンドの道を進むわけですが、ストリートライブで初めて弾いたのは、父・小渕八郎さんのお気に入りの曲「酒は涙か溜息か」
さんのお母様とお姉さんについては特に音楽に携わっていたというお話は聞きませんが、その様子からさんがミュージシャンの道を歩んでいくことには前向きであったのではないかと伺えます。
そしてこれからも、天国のご両親に見守られながら活躍していってほしいですね!
以上、小渕健太郎さんのご家族についてまとめました。
今後、何か新しいことが解りましたら追記します。
まとめ:小渕健太郎の母の死因は病気!父・兄弟など実家の家族構成や職業まとめ!
小渕健太郎のお母様の死因と、家族構成についてお話ししました。
- 小渕健太郎は18歳のときに母を亡くしており、死因は「病気」と言われている
- 小渕健太郎の父・小渕八郎は民謡の先生で、既に他界
- コブクロのデビュー曲「YELL〜エール〜」は、姉からの手紙がもとになっている
- 小渕健太郎はプロ野球選手の武田翔太投手と親族関係にある
小渕健太郎といえば、相方の黒田俊介さんと共に人気バンド「Mr.Children」のファンでいらっしゃること。
そのMr.Childrenのヴォーカリスト・桜井和寿さんが億単位の高年収と話題になってますね!コチラの記事にまとめてますので、よろしければご覧ください。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。