YOASOBIの作曲家として知られるayaseさん。
現在では数々のヒット曲を生み出し、「天才作曲家」として多くのファンに愛されています。
ですが、その成功の裏にはayaseさんのバンド時代や苦しい下積み時代がありました。
高校時代にバンドを結成し、音楽活動に情熱を注いできたayaseさんですが、経済的な困難や大病を乗り越えて今の地位を築き上げています。
そこで今回は、ayaseのバンド時代を含むこれまでの経歴を振り返りながら、彼がどのように苦労を乗り越え成功を掴んだのか。
その軌跡をまとめていきます!
- ayaseさんのバンド時代の経歴は?
- ayaseさんは下積み時代に家無しや大病を患うなど苦労人?
を紹介します。
ayaseのバンド時代など経歴まとめ!
YOASOBIの作曲家として絶大な人気を誇るayaseさん。
しかし、現在の成功に至るまでには、バンド活動を中心にした地道な努力の積み重ねがありました。
幼少期から音楽に親しみ、バンド時代を経てボカロP。
そしてYOASOBIとしての活動へと至った彼の道のりには、多くの挑戦と成長の物語が詰まっています。
- 幼少期:3歳からピアノを弾き始め、小学生で本格的なピアノ教室に通う。
- 小学校高学年:アコースティックギターを始め、作曲を開始。
- 中学時代:音楽に本格的に目覚め、EXILEやaikoの影響を受ける。
- 高校時代:16歳でロックバンド「Davinci」を結成、ボーカル兼リーダーを務める。
- 高校中退:バンド活動に専念するために高校を1年で中退。
- 2016年:バンド活動の拠点を山口県から東京に移し、全国的に活動を展開。
- 2018年:重度の出血性胃潰瘍を患い、バンド活動を休止。
- ボカロPとしての再出発:入院中に音楽制作を再開し、VOCALOID楽曲を投稿。
- 2019年:YOASOBIとしてikuraさんとユニットを結成し、「夜に駆ける」で大ヒット。
ここでは、ayaseのバンド時代を中心に、これまでの経歴を振り返ります。
幼少期:ピアノから始まった音楽の道
ayaseさんの音楽の原点は、幼少期にさかのぼります。
ayaseさんが3歳の頃、祖母がピアノの先生だったことから自然とピアノに触れるようになりました。
当時は遊び感覚で鍵盤を弾いていましたが、小学生になると「本気でピアノをやりたい」という思いが芽生え、本格的なピアノ教室に通い始めます。
ピアノを通じて音楽の楽しさや基礎を学んだことが、後の作曲活動に大きな影響を与えました。
ayaseさんは中学までピアノを続け、その中で培った音感やリズム感が現在の楽曲制作の礎となっています。
ピアノの先生だった祖母の影響で、3、4歳からピアノを始めました。物心ついたときから当たり前のように家にピアノが置いてあり、祖母と一緒に遊び感覚でピアノを弾いていた感じでした。小学生になってからは本気でピアノをやりたいと思い、本格的なピアノ教室に通い始めました。中学生くらいまではずっとピアノをやっていましたね。
引用元:朝日新聞
また、幼少期から音楽に親しんでいた環境が、自然とayaseさんの音楽的センスを育んでいったと言えるでしょう。
遊びから始まったピアノは、やがてayaseさんの音楽人生を切り開く大きな一歩となったのです!
高校時代:バンド活動の始まり
ayaseさんの音楽活動が本格的にスタートしたのは、高校時代のことです。
16歳のとき、ロックバンド「Davinci」を結成し、ボーカル兼リーダーとして活動を始めました。
16歳でバンド活動を始めたタイミングです。ボーカル兼バンドリーダーだったので、曲づくりをするのは自分だと思っていましたし、つくりたい意思もありました。
引用元:朝日新聞
このバンド活動は、ayaseさんの音楽人生において大きなターニングポイントとなります。
地元山口県周南市を拠点に、福岡県などで精力的にライブを行い、地元の音楽シーンで徐々に注目を集めていきました。
また、ayaseさんはこの頃から本格的な作曲活動をスタート。
自分たちの楽曲を制作しながら、音楽のスキルや感性を磨いていきました。
しかし、音楽に全力を注ぎたいという強い思いから、「バンド活動をするためには学校に行く暇はない」と決断し、高校を1年で中退。
バンド活動をするから学校に行く暇がない、行く必要もないと言って、高校1年生のときに学校をやめました。実際は、学校に通いながらもバンド活動できるのに。
引用元:朝日新聞
その後、音楽活動に専念する道を選びました。
この決断には迷いもあったと語っていますが、それ以上に音楽への情熱が勝ったと言います。
バンド「Davinci」は、地元での成功に満足することなく、より大きなステージを目指して活動を拡大。
後に東京進出を果たし、全国的な活動へと広がっていきます。
高校時代に音楽活動に全力を注いだ経験は、ayaseさんにとって今でもかけがえのない財産となっているに違いありませんね!
東京進出と全国活動
高校時代から地元山口県で活動していたバンド「Davinci」は、さらなる飛躍を求めて2016年に東京へ拠点を移しました。
地元で培った経験とスキルを武器に、東京での音楽活動を本格的にスタート。
(情報解禁)
Davinci上京一発目のライブ!
ばちばちよろしくお願いします! pic.twitter.com/ixHzkDSLXM— Davinci official (@Davinci_of) January 7, 2016
地元では限られていた活動範囲が、東京では全国的な広がりを見せるようになりました。
東京進出後は、ライブハウスやイベントに積極的に出演し、オリジナル楽曲を披露する機会を増やしていきました。
また、地方ツアーも行い、ファン層を拡大。
首都圏だけでなく、全国規模で知名度を上げていきました。
この時期、ayaseさんはボーカルとしてだけでなく、リーダーとしてバンドをまとめ、楽曲制作やライブ運営に尽力します。
しかし、都市部での活動には厳しい現実もありました。
経済的な負担が増す中、苦しい生活環境で音楽に打ち込む日々が続きます。
それでも、ayaseさんの音楽への情熱は衰えることなく、仲間たちと共にさらなる高みを目指し続けました。
東京への進出は、ayaseさんにとって大きな挑戦であり、新たなステージで音楽を磨き上げる重要な期間となりました。
この経験はayaseさんの活動、特にボカロPやYOASOBIとしての成功につながる大きな基盤となったのです!
ボカロPとして再出発
2018年、バンド活動を精力的に行っていたayaseさんは、重度の出血性胃潰瘍を患い、活動の継続が難しい状況に追い込まれました。
Davinciから皆様へ今後の活動について大切なお知らせがございます。
リリース当日、ならびにツアー直前のご報告となり誠に申し訳ございません。
ご迷惑をお掛けしますこと、深くお詫び申し上げます。 pic.twitter.com/fpFVwUri2Q
— Davinci official (@Davinci_of) October 3, 2018
入院を余儀なくされ、これまでのようなバンド活動ができなくなったayaseさんは、「一人でできる音楽」に目を向けるようになります。
その選択が、VOCALOIDを使った楽曲制作、つまり「ボカロP」としての再出発でした。
同年12月24日、ayaseさんはニコニコ動画とYouTubeに初めてのVOCALOID楽曲「先天性アサルトガール」を投稿。
この作品を皮切りに、ボカロPとしての活動を本格化させます。
その後も次々と楽曲を投稿し、2019年4月には「ラストリゾート」が初の殿堂入り(10万再生)を達成。
この頃から、ayaseさんの楽曲がボカロ界隈で注目を集めるようになりました。
ボカロPとしての活動では、バンド時代に培った作曲のセンスや物語性豊かな楽曲構成が存分に発揮されました。
特に、リスナーの心を掴む歌詞とメロディの調和は、ボカロファンから高く評価されています。
ボカロはAyaseが一番好き
— 玲 ◂ⓛ▸ 夏に咲け🌺 (@palumn9) November 28, 2024
やっぱAyaseさんの作る曲が好きなのよ🥹
EpisodeXかっこよすぎでしょ
ボカロP偉大すぎる…早く自分のミク欲しい🤦🏼♀️— あそび (@Asobi_79) November 26, 2024
さらに、同年11月には1st EP『幽霊東京』を発表し、即日完売するなど、人気が急上昇。
その後のYOASOBI結成につながる布石となる活動を展開していきます。
ボカロPとしての再出発は、ayaseさんに新しい音楽の可能性を与え、次なる大きなステージへの道を切り開くきっかけとなったのです。
ayaseは下積み時代に家無しや大病を患うなど苦労人だった!
現在、YOASOBIの作曲家として大成功を収めているayaseさんですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
特に下積み時代には、経済的な困難や健康上の問題など、数々の試練を経験しています。
バンド活動が活発だった頃、東京進出後の生活は厳しいものでした。
音楽に専念するための収入は不安定で、家賃を支払う余裕がなく、ayaseさんは妹が住む2DKのアパートのDK部分(キッチン)に間借りして生活していました。
「当時はお金がなさ過ぎて家もなくて。妹二人が東京に出てきていたので、その家に住まわせてもらって。2DKのDK部分に住んでいました(笑)。キッチンを見ながら寝ていましたね」
引用元:ザ・テレビジョン
キッチンを見ながら寝泊まりする日々は快適とは程遠いものでしたが、それでも音楽への情熱は失われることはありませんでした。
さらに前述のとおり、2018年には重度の出血性胃潰瘍を患い、バンド活動を一時休止せざるを得なくなります。
この大病により、肉体的な苦痛だけでなく、精神的にも追い込まれる日々が続きました。
それでも、入院中に「一人でできる音楽制作」に目を向け、VOCALOID楽曲の制作を始めたことが、ayaseさんに新たな道を開きました。
また、ボカロPとしての活動を始めた当初は、収益もほとんどなく、アルバイトをしながら生活費を捻出する毎日。
それでも、自宅の簡素な環境でPC1台を駆使して楽曲制作を続けた結果、「夜に駆ける」のようなヒット曲が生まれるきっかけとなりました。
経済的な困難や健康問題を乗り越えたayaseさんの姿は、多くの人に希望と勇気を与えています。
ayaseさんの努力と情熱は、今の成功を築き上げた礎そのものです。
この苦労を知ることで、ayaseさんが生み出す音楽の背後にある深いストーリーに、より一層感動を覚えることでしょう!
まとめ:ayaseのバンド時代など経歴まとめ!下積み時代は家無しや大病を患うなど苦労人だった!
今回は、ayaseのバンド時代を含むこれまでの経歴を振り返りながら、彼がどのように苦労を乗り越え成功を掴んだのか、その軌跡をまとめていきました!
ayaseさんの成功は、幼少期から始まった音楽との関わり、バンド時代の挑戦、そしてボカロPとしての再出発を経て築き上げられたものです。
その裏には、家無し生活や大病といった厳しい下積み時代の経験がありました。
しかし、それらを乗り越えたayaseさんの努力と情熱は、現在のYOASOBIとしての活動にも深く根付いています。
この経歴を知ることで、ayaseさんの楽曲に込められた想いや情熱がより強く感じられるのではないでしょうか。
ぜひ、ayaseさんの作品やYOASOBIの楽曲を改めて聴いてみてくださいね!
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